プロフィール

suurizemi

Author:suurizemi
はじめまして。私の名前は松崎遥です。
2010年現在、東京大学大学院総合文化研究科の2年生です。
最近いろいろ総合しすぎてよく解っていません。
e-mailアドレスは、blckcloistergmilどっと混むです。出会い系サイトの攻撃によりコメント機能は使えませんので、こちらにご連絡下さい。

私の好きな言葉だけ・・・
「証明の海の中にこそ数学の生命が宿り、定理や予想は大海に浮かぶただの泡である(よみ人知らず)」
「曖昧な知識は何の役にもたちません。自戒を込めて(神保道夫)」
「連続関数以外では、微分積分法はむずかしい!(高木貞治)」
「10代で共産主義にかぶれない人間は情熱が足りない。20を過ぎて共産主義にかぶれる人間は知能が足りない。(よみ人知らず)」
「だから、あの人自身がアトラクターなんだよね(金子邦彦教授評。)」
「われわれは、ほとんど知識をもっていないことほど固く信じている。(モンテーニュ)」
「現代文明の根源であり象徴である近代科学は,知的に非凡とは言えない人間を温かく迎えいれ,その人間の仕事が成功することを可能にしている.
 その原因は,新しい科学の,また,科学に支配され代表される文明の,最大の長所であり,同時に最大の危険であるもの,つまり機械化である.物理学や生物学においてやらなくてはならないことの大部分は,誰にでも,あるいはほとんどの人にできる機械的な頭脳労働である.科学の無数の研究目的のためには,これを小さな分野に分けて,その一つに閉じこもり,他の分野のことは知らないでいてよかろう.方法の確実さと正確さのお陰で,このような知恵の一時的,実際的な解体が許される.これらの方法の一つを,一つの機械のように使って仕事をすればよいのであって,実り多い結果を得るためには.その方法の意味や原理についての厳密な観念をもつ必要など少しもない.このように,大部分の科学者は,蜜蜂が巣に閉じこもるように,焼き串をまわす犬のように,自分の実験室の小部屋に閉じこもって,科学全体の発達を推進しているのである.・・・(中略)・・・大部分の科学者は,自分の生とまともにぶつかるのがこわくて,科学に専念してきたのである.かれらは明晰な頭脳ではない.だから,周知のように,具体的な状況にたいして愚かなのである.(オルテガ)」
「幾何学(=数学)について腹蔵なく申せば、私は、これを頭脳の最高の訓練とは思いますが、同時にそれが本当に無益なものだということをよく存じていますので、、、(パスカル)」
「犬っころなら三日も四日も寝ていられようが・・・寝て暮らすにゃあ、人間てのは血が熱過ぎる・・・(村田京介)」
「小泉純一郎は朝食をたくさん食べる。ヒトラーも朝食をたくさん食べた。だから小泉はヒトラーと同じだ(朝日新聞)」
「畜生、今日もまた Perl でスクリプトを書いてしまった。ああもう、 Python がデフォルトでインストールされないシステムはゴミだよ。いや、それではゴミに対して失礼だ (リサイクル可能なものが多いからな) 。よし、こうしよう。 Python がデフォルトでインストールされないシステムは核廃棄物だ。いや、核廃棄物の中にも再利用できるものはあるな。なんて事だ、俺は本当に無価値なものを発見してしまった・・・(プログラマー)」
「ヨーロッパかアメリカの気候のよいところで、
のんびりぜいたくに遊んで一生を暮らすこともできるだろうに・・・それがお前たち下等なブルジョワの最高の幸福だ。」
「もし二人がいつも同じ意見なら、一人はいなくてもよい。(チャーチル)」
「悉く書を信ずれば、即ち書無きに如かず。(孟子)」
「一般的に、時間が経てば経つほど、バグを直すのにかかるコスト(時間とお金)は増える。
例えば、コンパイル時にタイプか文法エラーが出たら、それを直すのはごく当たり前のことだ。
バグを抱えていて、プログラムを動かそうとした最初のときに見つけたとする。君はわけなく直せるだろう。なぜなら、君の頭の中でそのコードはまだ新鮮だからだ。
2、3日前に書いたコードの中にバグを見つけたとする。それを追い詰めるのには少し時間を要するだろう。しかし、書いたコードを読み直せばすべてを思い出し、手ごろな時間で直せるだろう。
でも、2,3ヶ月前に書いたコードの中のバグについては、君はそのコードについて多くを忘れているだろう。そして、直すのはこれまでよりずっと大変だ。このケースでは、君は誰か他の人のコードを直していて、書いた本人は休暇でアルバ島(訳註:ベネズエラ北西カリブの島・リゾート地)に行っているかもしれない。この場合、バグを直すことは科学"science"のようなものだ。ゆっくり、順序立てて慎重にやらなければならないし、直す方法を見つけるのにどのくらいかかるのか、確かなところがわからない。
そして、すでに出荷されたコードのバグを見つけたら、それを直すには途方も無いコストを招くだろう。(Joel on Software)」
「男と女には春夏秋冬がある。
春にしっかり育てて、
夏に燃え上がり、
秋に”情”という実がなり
冬はそれを食べて生きていく。(柳沢きみお)」

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もはや自主セミナーの補助ページではなくなって久しいモノ。
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ベルンシュタインの定理
今日はぶらぶらと桜を見たり、下北沢の裏のほうにあるお店で食事をしたりした。こういう日は本当に貴重だ。

いま、シナイの確率論を読んでいる。ああ、コルモゴロフ・シナイのエントロピーに早く到達したい。焦る焦る。


ところで、wikipediaの基数の項目を見たら、
>ベルンシュタインの定理
>集合Aから集合Bへの単射があり、BからAへも単射があれば、AからBへの全単射がある。
>言っていることは、直観的には当たり前であるが、証明をするとなると、それほど簡単ではない。
という記述があった。

・・・いったいベルンシュタインの定理のどこらへんが直感的に当たり前なんだろうか?有限集合の場合に当たり前だって言うのはわかるんだけど、それはそもそもベルンシュタインの定理を使う意味が無いわけで・・・編集保護中の記事だが、こういうのはちょっと数学の精神に反していると思う。

直感的に当たり前で証明の難しい定理なんて果たして存在するんだろうか?それとも、ちょっと見ただけでは難しいところが一見わかりにくいというだけのことなんだろうか。

 
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悩むということ
悩むのはいいことだ、なんて人はよく言う。
けどそれは、表面的に見ればきっと間違いだ。悩めば、効率が落ちる。悩みなんか持たない機械のように働けばそれが一番「いい」はずだ。

じゃあ、それが間違いだったら、何を意味するのか。

それは、機械のような人間にはそんなセリフはいえない、っていうことだ。悩んだことがあるから人間は、例えそれが悩んだ自分の正当化のためだったとしても、「悩むことはいいことだ」って言えるんだ。

弱い人間に生まれて来て、よかった。
 
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第4回ランダウセミナー
今日は遅刻した。ルベーグ積分で徹夜したあと、少し寝て、夜中から勉強を始めたのだが寝てしまったのだ。しかも、みんなへの予習割り振りが間違っていたと言う事実。

・・・。

帰宅、先輩から針路変更のメールを受けた。頑張って欲しいと思う。


そういえば、ハーバード・ビジネスレビューというビジネス雑誌がある。今月号はビジネスにおける弁証法の使い方だった。

この雑誌の欠点は、読者層のせいで非常に値段が高いことだ。なんと、2000円。悪いこととは思いながらも、その中の2章を立ち読みしてしまった。

しかし、予想外の面白さに、あとで生協で買うことを決心した。

感銘を受けたのは、大前研一の文章とジェームズ・G・マーチである。

うーん、マーチの文章は数学者の文章にそっくりだ。やはり、学問の根幹は「情緒」なのだと思わざるを得ない一節。
 
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Lebesgue積分第一回
バイトが終わり、松屋で大盛りを食べて学校へ。
かっつおんがいたのでポツポツとはじめだす。かなりかつお憔悴している様子。

確かに、この本(伊藤清三)はのっけからかなり難しかった。とりあえず、区間塊上の有限加法的測度を定義域を拡張していく感じで、白紙につらつらと書いていく。かつお氏それを眺める。意外にすらすら進んで、カラテオドリー可測な集合が一意的にσ-algebraを指定するところまでいった。

一つだけけっこう詰まってしまったところがあったので、記録しておこう。それは、カラテオドリー可測集合の完全加法性である。

うーむ、それにしても、ルベーグ外測度を使うとカラテオドリー可測な集合の族は一意的に決まるはずだが、これだと確率論で言うフィルトレーションということが起こらない。いったいなんなんだろう。確率もやらなければ。

ここらへんでかつお氏がばてたのでゼミは2時間もかからなかった。終わりにこれからの幾何学、を貸す。次回はかつお氏の独壇場でそれを僕が横から眺めて突っ込む感じになるだろう。


今回、ルベーグ積分の本質的なところが見えてきた気がした。
「リーマン積分は横に分けるがルベーグ積分はたてに分ける」
などと言う人がいる。僕もその「直感的な」説明に長らく縛られてきたひとりだが、これはどうもすこし本質をずれているような気がする。

と言うのも、完全加法性というのは集合を与えられているものであり、I=ΣInという状況が成り立っていれば、自動的にm(I)やm(In)といった有限加法的測度の値が定まるのである。わざわざ細分して極限をとると言うことをしないのである。ルベーグ積分における極限は単関数近似であるが、どうだろうか。

要は、IやInなど測度空間の集合には全く依存せず、m(I)やm(In)というただの数列を見ればよいだけなのである。

その意味で、ハイネ・ボレルの被覆定理こそが集合の可測性の本質なのであり、任意の面積(0 < S < m(I))を与えた時に、その面積Sを実現するような部分集合の部分集合が存在するか(S < m(F) < m(I) なる、部分集合Iの部分集合Fが存在するか)と言うことが、測度の不連続性を特徴付けると言うことなのだ。

ということで、ルベーグ積分とは何、と聞かれたら今度から、
「面積が不明の図形に対して、その面積をコンパクトな集合で内部から、コンパクト集合の開被覆で外部から挟んで求めると言う思想」だと答えようと思うんだけどどうなんでしょうか。

帰り、生協で本を読んでいたら半年振りに劇団のKとあった。人と話すのはよいものです。本屋ではシナイの確率論と、ソリトンの数理を買いました。可積分系、立ち読みしていたらはまりました。密度行列がtime-depending Hamiltonianによってどのように非対角成分を獲得していく可などの議論を最近していましたが、まさにそれ、ポアソン括弧マンセーという感じです。

徹夜だったので、家に帰ったらぶっ倒れました。
 
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ランダムウォーク
今日はランダウの3回目のゼミでN島さんが参加してくれた。鋭いツッコミをいくつか入れていただいた。非常に有意義で、面白かった。ランダウは素晴らしい。理論物理学教程はまさに芸術作品なのではないだろうか。

セミナーはぶっつづけで7時半までやったので少々疲れた。控え室で横になって「結び目と統計力学」を読んでいると、かっつぉんがやってきた。かっつぉんはソリティアを。54秒でクリアしてやがる。その横で俺もスパイダソリティアの4級を、初見でクリア。

二人ともバカだ(笑)

ということで?あさってからルベーグ積分のゼミをやることになった。というか単なる復習なのだが・・・単なる復習に終わってはもったいないので何か工夫していこうと思う。

なぜルベーグ積分かと言うと、SGCライブラリの「現代物理数学への招待~ランダムウォークから広がる多彩な物理と数理」を買ったのがきっかけだ。この本、いい感じにイカれてる。簡単に言うと、この宇宙の中心には混沌の神アザトースが狂気のフルートの音にあわせて怒り狂い乱数を吐き出し続けており、それを人間が対称性のレンズで覗くといま見えている世界になっている、と言う感じだ。少々内容と食い違ってるかもしれないが。

だから、これを読むために確率論をやる。エルゴード定理については納得したし今更追いかけようとも思わないのだが、なにせアザトースは気になる。先学期のワイル、パーコレーション、ランダムマトリックス、そしてランダウ。全てが繋がっている、その階段の一歩目を踏みしめた感覚が、かすかにする。
 
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ランダウ第二回から今日へ向けて
セミナーの参加者には申し訳無いが、昨日の夜から今日にかけては久しぶりに真面目に勉強した。真面目にと言うのは、本を追うだけでなく、独創的な読み方が出来るかということである。久しぶりに物理を読んでいて感動を覚えたのであった。

さて、ランダウセミナーの第二回は、個人的には:

・なぜ熱力学の独立変数が通常2つであるかが理解できた。これは、相空間パラメータΓと断熱変化パラメータλの2つに対応しており、これを使うと例えば圧力がp,q,λの関数として書けることが理解できた。
・ランダムウォーク的なものは、微分する時に極限をとるのではなくほどほどにする。
・都知事選の話をした。
・T田とKが生きていることを知った
・物理学科の吹き抜けがかっこよかった

あたりが収穫かなと思っている。要はあんまり・・・。

それに比べて、2章の後半、つまり熱力学の後半はめちゃくちゃ面白い。最近進路について悩み続けているが、それさえ忘れてしまうほどだ。特に、重力に関する議論は興味深く、最初から書いてよ!と言う感じ。

うん、さっさと終わって桜が観にいきたい。
 
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相互作用表示
なぜかランダウの二回目を書く前に今日の出来事を書くことになってしまった。

今日はバイトの調子が悪く、一時間も無給で労働することになってしまった。その後、2時間もブックオフで本を買っていたので、本でパンパンになった疲れた僕は学校によって本を下ろすことにした。

最初はゾノと、久しぶりにビールでも飲みながら将来の不安について語っていただけだった。しかし、Tとランダウの話をしてしまったのが運のツキであった。彼から部分的平衡のエントロピーについて聞かれて答えたあと、つい密度行列の時間依存性について聞いてしまったのだ。

ここから、翌日5時までに及ぶ、相互作用表示との戦いが始まった。結論を見てみれば、驚くほど簡単で、ただのダイソン級数だ。

こんな初歩的なことで躓いてしまうとは・・・今は、とにかくねむ。超失意体前屈。
 
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poisson括弧
この二日、ラフかディオ・ハーンの怪談だとか枕草子だとか・・・はたまたドストエフスキーの賭博者だとか、いろいろな小説を読みながら、解析力学におけるポアソン括弧の意味とは何か、また断熱定理の意味を考え続けていた。

それにあたって、ランダウの力学を最初から読み始めると言う愚行をし、25ページあたりになってようやく愚行だと言うことに気が付いた。しかし、運動の積分についてランダウの知見が盛り込まれていて実に楽しい。いろいろな運動の積分を計算してみて、どのような時に役に立たないか考えたりした。そこで引き続き明日もこれを読むことにした。

さて、実際にはいきなりランダウを読み始めたのではなく、白紙に思うところをバーッと書いてみた。

ポアソン括弧の定義。
ポアソン括弧はリー微分と同じだから、正準方程式をハイゼンベルグの運動方程式の形に書きなおせる。
正準方程式だけでなく、任意の物理量f(p,q)の時間発展は{f,H}に等しい。
ポアソン括弧はリー環の積である。微分と言う概念を、リー環の結合定数と言う概念で置き換えることが出来る。
さらに、ポアソン括弧を使うと、微分演算子を作ることが出来る。リー微分だから当たり前だ。
基本ポアソン括弧はどのようなハミルトニアンでも成り立つ。
微分演算子だからポアソン括弧は固有関数を持つ。固有関数は波動関数である。
固有関数から第一積分を構成できる。
第一積分同士のポアソン括弧は第一積分だ。


やはり3ページぐらいで詰まってしまい。主にあたった文献はやはり山本義隆の解析力学と、深谷賢治の解析力学と微分形式だった。まず後者の本から得たことを纏めると、

{f,g}を生成関数とするハミルトニアンベクトル場X{f,g}は、[Xf,Xg]と一致する。

これは衝撃的である。さっき白紙上で悪戦苦闘した、ヤコビの恒等式が赤子の手をひねるように証明できてしまうではないか!
逆に、ポアソン括弧がどうしても必要な理由と言うのはあまり読み取れない。

山本義隆から:
第一積分とハミルトニアンは区別がつかないと言うことに気が付いた。(第一積分のフローでハミルトニアンも保存される。ネーターの定理が見やすい)
そのため、ポアソン括弧の反対称性の物理的意味に気が付いた。
力学の問題を解くということは、ハミルトニアンベクトル場の積分曲線による正準変換を求めることだと気づいた。ポアソン括弧は、それを指数写像(べき級数)で求めるための計算法でもある。


あと、どうも自分には、ポアソン括弧の正準変換による不変性という概念が抜け落ちていたらしい。危ない危ない。

そして何よりも大事なのは、ポアソン括弧を使った、可積分系のリュウビルの定理の証明である。実はまだ、これをちゃんとフォローできていない。ここらへんに、ポアソン括弧の真の存在意義があるのではないか。といっても、リー微分であると言うことの範疇を出るものではないのだが・・・。

結局は、量子力学か?とも思ってしまう。しかし、反対称性の物理的意味がわかったことは貴重だった。
 
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ランダウ初回
古典については考え尽くしたのでまぁ善い出来だったかなという感じがするが、一週間本ばかり読んでいたので量子については酷い出来だった。

§1~4は僕が発表し、長いランダウの文章を切り捨てていく感じでうまくいった。いくつか疑問が出たが、ひとつだけ解決されない問題が残った。それは、

エントロピーと系全体の角運動量はどう影響しあうか


である。ランダウは相対性原理で根拠なく切り捨てているように思える。

§5~6はI本に托された。一度予習はしていたはずなのに、英語版を読むのは初めてだったので、自分の知識との対応が付かず正直ちんぷんかんぷんだった。意味なく古典に時間を使いすぎた。失敗である。しかし主な疑問はみんな解決したようであった。
いまも考えているのだが、しっくりこないこともある。
古典統計力学では、エルゴード仮説を満たさない系は単に統計力学の適用範囲から外せばよい。しかし、量子統計力学ではどうすればよいだろう。といってもエルゴード仮説の話ではなく、量子統計において、subsystemがclosedとみなせない場合、ハミルトニアンが時間依存するが、そのときの様子がよくわからないのである。
時間依存部分を摂動として扱えば、相互作用表示ということになる。その時、密度行列を与えるのはいいが、これは時間に依存しないブラケットで記述されているではないか。それはおかしい。ということは、相互作用表示では密度行列が時間発展するわけである。ではどうやって行列要素を求めればいいのか?皆目わからない。今夜の課題である。まったく自分の低レベルさにはうんざりする。

§7はY竹ががんばった。これまた僕にはよくわからなかったが、とりあえず恒温槽の問題は解決した。

§8。S藤。宇宙のエントロピーは重力で減るか。僕はランダウの意見を擁護する側に立って議論した。すなわち、宇宙スケールでは重力がドミナントだから、一様なガスの状態になってしまわないのは重力のおかげであり、重力が単純にエントロピーが増えるのを止めるのに一役買っているというもの。宇宙の緩和時間は計りようがないので水掛け論といえばそれまでだが、ランダウの言うことはそこまで間違っていない気がしてならない。
最後、量子的測定でエントロピーが増える旨の記述に対して、卒研の影響もあって納得いかなかったので質問を提出してみた。シュテルン・ゲルラッハの実験において観測が起こるのはいつだ?というもの。結局誰も解決できなかった。正しいのでは?と思われるのは、磁場でビームをわけるときには実際にはスーパーポジションを保っており(時間発展はユニタリだから)、古典的な系と相互作用を起こして波束が収縮するまではエントロピーは増えていないという考え方だ。

上の二点(角運動量の問題)を佐々先生に明日聞きにいこうかと思うのだが、忙しい!基本的過ぎる!とおこられる気がして悩んでいる。まぁ10分ぐらいに抑えるつもりで簡潔にまとめていこう・・・


一週間なんの本を読みつづけていたかということも、暇があったらここに記録しておこうと思う。フランス文学に、はまり始めたかもしれないのである(笑)
 
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ランダウ統計セミナー:宣伝
宣伝の命を仰せつかったので宣伝します:これは内輪でない宣伝で、別に東大である必要も4月から大学4年生である必要もありません。もちろん男女問いません。

ランダウ統計力学セミナー:
3月18日、午後1時駒場キャンパス16号館前ベンチ集合
初回の予習範囲は、Landau and Lifshitz "Statical Physics Part1"の、1章"The Fundamental Principles of Statistical Physics"全部です。
初回はオーバービュー、発表者は決まっていませんが、発表と言うより統計力学の基礎付けに関する議論と言うことにしようと思います。
古典、量子、ハミルトニアンが連続スペクトルを持つ場合、流体のような大域的(macroscopic)運動をする場合のエントロピーの可能性など、考えてこようと思います。
もともと寄せ集め集団みたいな感じなので、外部の方の参加を歓迎いたします。参加無料ですが(笑)事前連絡をお願いします。連絡はこの記事のコメント欄にお願いいたします。

では失礼
 
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ワインバーグ再構築
ワインバーグを再構築してみようと思って、次のことだけを公理としてどこまでいえるかやってみた。あたらしいA4の紙挟むやつ(名前不明)を買ったのだ。

公理:状態ベクトルをローレンツ変換しても、ある事象を観測する確率は変わらない。すなわち、完全系ψiにたいして、
|ψi|2^=|ψi'|^2

さて、ローレンツ変換ψ→ψ'が線形又は反線型であることは・・・いえた。ユニタリ/反ユニタリもいえた。
運動量固有状態が運動量固有状態に移る(ローレンツ変換のヒルベルト空間上表現とPが可換)もいえた。スピン固有状態が系を回転する変換で固有状態に移らないこともいえた。なぜなら、シュテルン・ゲルラッハの実験で、上と下に分かれるビームの強度はどの慣性系でも変わりえないから。

さて、ここでつまづいた。Little Groupの問題である。はたして、ローレンツ・ブーストでスピン固有状態が不変なのは直感的に明らかなのだろうか?これでウンウンとコタツで唸っていたら寝てしまった。

あきらめて本を見てしまうか悩み中である。と思ってかいていたらわかった。もしもローレンツブーストの影響をスピン固有状態が感知したら、シュテルンゲルラッハの実験で系の絶対速度が測れますね。これ間違ってるかな?間違ってたらコメントで叱ってください(笑)
 
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成長とは何?
コンピューターと海外旅行というのは、ある意味対照的なものであると僕は思う。しかし、完璧に対称性が成り立っているとは言えない。今日長らく考え続けていたこの問題を記録しておかなきゃいけ無い気がして、記録してみる。

海外旅行が外へのたびでコンピューターが中へのたびだとか、知れる風なことを言うつもりは無いのでまあ聴いてください。このブログも訪問者数が増えてきたし、似たようなことを思っている人は案外いるんじゃないかと思うのである。

コンピューターというのは、今皆さんが触っているパソコンのことである。普通コンピューターとして考えられているのは有限状態の情報を、CPUが等量の情報にマルコフ的に変換していくというモデルである。(昔、中高生のころ、Z80などのマイコンをやっていたことがある。)マルコフ的とここで言うのは、ある時刻での状態が決まれば未来の状態が全て計算できるということである。で、CPUは突き詰めればチューリングマシンであるので、コンピューターというのは人間の考える「有限」の化身みたいなことになっている。

では、「有限」とは一体なんであろうか。普通の人なら有限=可算というイメージを持っている。この考え方は、「数える」という行為を記号化し、没個性化するという前提に基づいている(記号化に没個性化は含まれない)。微分を発明したライプニッツは生涯「この世になぜ実数濃度の連続性が存在するのか」を考え続けた。そのことを引くまでも無いかもしれないが人間は世界から無限の情報を取り入れ、そのことを捨象=言語化して論理的思考をしている。今、「数える」という行為に我々が施した没個性化は、こうした無限の次元を持つ情報を、時間という軸でしか区別できなくなり、しかもその時間という軸から実数濃度を捨象することを表しているわけだ。

つまり、有限=可算の発想だと、有限は無限に内包され、人間の認識能力たる没個性化によって存在しうるということになる。それを支えるのは、記憶能力である。つまり、有限というものを人間の能力として解釈したことになる。

以上の議論では存在はすなわち無限であるという前提を置いたが、これは西田的に主客未分離である状態を無限といっているわけであるのはなんとなく想像がついたのではないかと思う。世界に無限が存在することと、認識が知覚に介入するまでは価値の付加が出来ないという事実から導かれた自然なモデルである。

ところが、多くの場合コンピューターは実在的な有限であると解釈される。なぜなら、コンピューターは動作がマルコフ的で、有限状態しか持たないからだ。これはハードウェアとしてのコンピューターについても当てはまる。このため、コンピューター科学は、このようなコンピューター像を受け入れることで、極めて自然に有限の足場を持つことが出来る。それでは無限はどこにも残っていないのか。その答えは、有限の足場は得られたが、そこに無限の住人である人間がやってきて、再び無限を持ち込むということになる。

ところで、海外旅行について。いくら海外旅行をしても、当然地球の外に出ることは出来ない。その意味で、海外旅行というものは限界としての有限という言葉の意味を思い出させてくれる。しかし、海外旅行に行って私は有限の体験を得てきました、と得々と語る人はいないだろう。それはそもそも体験という言葉が、無限を体験するのだという前提で語られるからである。まとめると、コンピューター科学は有限の足場に無限の楼閣を築き、海外旅行は限界の中に無限を見出す行為であるといえる。どちらも、ポピュラーな具体例を挙げたに過ぎないのであるが。

さて、この二つのことを好む人たちは多い。それはなぜか?この二つと、人間の根本的な欲望に共通しているキーワードがある。それは、「未知」である。

コンピューター科学を有限の上の楼閣に例えたが、それを牽引するのは「未知」である。「計算できる」ことは既にわかっている。だが、それ以上のことを人は知りたいと望む。「計算できる」有限状態以上のものが、コンピューターに残されていることを理解するためには、フラクタル性を考えれば十分だ。フラクタル性とは、図形の一部を拡大すると自己相似的だという現象がいつまでも続くことだ。たとえコンピューターを有限回の計算でストップさせたとしても(しかも現実は常にそうである)、人は計算結果がフラクタルであるかどうかを「決定する」ことが出来る。否、それは見出しているといった方がいい。これが人は無限の住人であると書いた理由である。

良くも悪くも、人間はそれを見出すことに「成長」というものを感じてしまう。「進歩」と言ってもいいが、未知がまた一つ減らされたと言うことをポジティブに捉える。例え残された未知が、それとは比較にならない無限であったとしても・・・

海外旅行に価値を見出す人々の種類は少し異なる。彼らは、足場の上にダイナミクスを生み出すことよりも、ダイナミクスによって生み出された多様性を知覚することを好む。そして、それに先に述べた「成長」を見出すのも常である。なぜなら、未知が減らされたと考えるからである。

少々未知と言う言葉を濫用して、多くのものから捨象しすぎたかもしれないが、「成長」という人間の欲望を語るにはちょうどよい捨象の程度では無いだろうか。人間の欲望と言う言葉によって、全ての事象が一次元化されてしまうからである。

海外旅行の途中であった。問題は、海外旅行を求める時、人は実は何を求めているのかということである。そのヒントは、危険の中にある。ある種の人々は、コストばかりでなくリスクを負ってでも海外旅行に行くのである。なぜそのような決断をするのか。それは、未知によってリスクが覆い隠されるからである。エロスとタナトスは区別がつかない、というわけだ。自滅と欲望は同じようなものだと言ってもいい。

しかし、いざ旅行に言ってみると、そこに本来の意味での未知があることはありえない。そのことを皆、私たちは知っているのである。世界に限界があると言うことから言ってもそうだが、人の住むところにはある程度までの共通性があるし、なんと言っても人が居るのである。そこではイデア界の使者たる未知は実在の人間に姿を変える。ひとたび会話交わればそれは既に他者ではなくなる。他者とは、未知と同様のカテゴリーに存在するイデアなのだから。

もちろん、他者を求めない旅行もあるだろう。しかし、人がそのような旅行を求めるかと言うと別だ。人が旅行を求めるならば、それは未知や他者を求めているのである。ある人は、そこに「成長」を付加する。「成長」とは価値観であり、価値観を変えるなら旅行の必要は原理的には無いだろう。もしも原理的に旅行が必要だとすれば、「体験」というひとの行為を通して、無限が無限へ流れ込むと考えなければならない。世界の無限がひとの無限へと流れ込む。

コンピューター科学に「未知」を見出すためには、ひとの中の無限は必要だが体験に無限を流入させる必要は無い。有限、わかりにくければ言語と表現することも出来るが、をやり取りしたダイナミクスで、人は「成長」を獲得できる。海外旅行に「未知」を見出す人は、真摯に考えるならば、無限のやり取りのダイナミクスで自己が「成長」していると考えなければ論理的に破綻しているのである。

この二つの区別がつけずに、「成長」を云々することは意味が無い。なぜなら、有限をやり取りするダイナミクスは存在しても、無限をやり取りするダイナミクスが存在するかどうかは誰にもわからないからである。有限なものがそもそも存在するのかと言う問題には、言語の分の無限量情報はいわば無限のゲージ変換だということが出来るが、無限を差し引いてもなお残る無限、それが体験の中に存在するかどうかは想像力の領域であり、ちなみに私は、それが存在しているはずだと考えている。

(これはラップの歌詞です。)
 
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ようやく物理のシミュレーションへ
ふう、分子動力学法でプログラムを組んでからどれくらい経っただろう?こういうときにブログは役に立ちます。・・・・い、一月28日かっ(笑)もう一ヶ月も経っていたんですね。

ついにこれを完成させるときが来ました。モンテカルロ積分です。

熱力学的には、熱力学的に孤立していて外場のある系(外場が無ければ体積も無限大)と考えることにします。ポテンシャルによって等エネルギー面が歪みますが、それがエントロピーにどう影響を及ぼすかということです。

今日は眠くて出来ませんが、明日が楽しみです。

※時間が余ったら、力学系のシミュレーションは電磁気学のブッシュの定理の再現でもやってみようかと思っています。勝手に電荷が動き始めるのは面白いのではないでしょうか。
 
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続:休み時間 メルセンヌツイスターとrandの比較実験の追試
メルセンヌツイスターの開発者(のうちの一人)であられる松本眞氏が行った、メルセンヌツイスターとC言語のrandの性能比較を実験してみようと思い、プログラムを書いてみました。

最初は100万個程度の乱数に対してやっていたのですが、全然違いが現れないので思い切って氏の実験と全く同じ条件、10^9個でやってみました。待つこと数分・・・

"ファイルサイズ制限を超過しました"

なんじゃこりゃ!
実際にファイルサイズを計算してみると・・・7000M!!!
7Gのテキストファイルか・・・(^ ^;
10^8個ではうまく行きました。今700Mのテキストファイルがハードディスクに鎮座ましましています(笑)
 
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例題:2次元パーコレーション
いままでのおさらいかどうか知りませんけど、2次元パーコレーションのプログラムを組んでみました。

percolation.png


テトリスみたいにかわいく仕上がりました(笑)

1万マスぐらいでも軽快に動作します。メルセンヌツイスターの力は偉大です!
 
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第五回:viを使いこなせ!
viは素晴らしいエディタです。これを一度使ってプログラムをすると、もうウィンドウズには戻れなくなってしまいました。

起動は
vi <ファイル名>
です。

viにはコマンダーモードと挿入モードがあります。ロマサガ3みたいですね。起動時はコマンダーモードで、iキーで挿入モードにうつります。この状態でテキストが編集でき、もちろん日本語入力も自由自在です。

コマンダーモードに戻るには、Escを押します。

コマンダーモードで使う主なコマンドは、次のものだけあればプログラムが組めるでしょう:
:w <ファイル名・省略可能> ファイルを保存する。
:q viを閉じる。
:q! 変更を破棄して抜ける。
:! <シェルコマンド> 適当なシェルコマンドを実行する。特に、これのおかげでプログラムのコンパイル、実行がいつでも出来ます。やばいですね。

次の3つのコマンドを覚えておくと便利です:
dd カーソルがある行を削除。
d2[Enter] カーソルがある行から3行を削除。
p バッファに取り込んだデータを、カーソルのある次の行からペースト。(dコマンドで削除した内容はバッファに取り込まれている)
u アンドゥ。逆はCtrl+R 

やはり:!コマンドが最強です。ls、pwdなんかも役に立ちますね。
 
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第四回:FedoraにMersenne Twisterをインストールする
SFMTの方がやや早いようですが、かなり手間取る(その上2007年3月現在、公式サイトのドキュメントに不備が見られる)(近いうちSSE2版にアップデートします)ため、通常のMersenne Twisterを使うことにします。Mersennne Twisterは、モンテカルロ用の一様分布乱数を生成するプログラムです。

まず、公式サイト
http://www.math.sci.hiroshima-u.ac.jp/~m-mat/MT/MT2002/mt19937ar.html
からtarファイルをダウンロードしてきて展開します。
tar -xvzf <ファイル名>
そして、その中の.cファイルを自分のプログラムがあるフォルダにコピーします。

vimで開き、int main()をコメントアウト/**/し、別名で保存します。
:w omitmainmt.c

自分のプログラムにインクルードするには、
#include "omitmainmt.c"
(""であり、<>ではない)と書いて、プログラムの初期の方で
init_genrand(<好きな非負整数>);
を実行します。すると、以降
double genrand_real1();
を実行するたびに、[0,1]に含まれる実数がランダムに得られます。これを実行するたびに、得られる実数は自動的に変わります。

とても簡単ですね。素晴らしい(^ ^)
 
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第三回:eggxライブラリなどをインストールする
eggx/ProcallをFedora Core 6にインストール:

これは・・・わや大変でした。余裕で夜が明けてますがな。やっと、インストールできましたわ・・・

注意すべきこと:
実際にヘッダファイルを読んでみると、下の階層をインクルードしている部分がある。つまり、
#include ではなく
#include と書いてあるのである。
そのため、Makefileには
LLIB=-L/usr/lib/X11 ではなくて、
LLIB=-L/usr/lib と書かなくてはいけない!

初歩的なミスだが、これのおかげでかなりコンパイルが出来ずに苦労した。"undefined reference to"というエラーメッセージが出たら、おそらくこのように、Makefileの書き間違いのせいだろう。Fedoraにeggxを入れようとしている人は注意です。

Fedoraの場合のMakefileを置いておきますので、ご自由にどうぞ(^ ^

今日はこのインストール作業のおかげで、ハードリンク、ソフトリンク、Cコンパイラのリンカ機能、静的ライブラリ、externなどについて学ぶことが出来た。だんだんLinuxが身近に感じられるようになってきた気がする。

ふぅ・・・

Makefile.txtであげておきました。Makefileにリネームして使ってください。そんな大層なもんじゃありませんが。Makefile.txt

 
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第二回:光ファイバーでネットに接続する
やっとFedoraのパソコンを光ファイバー(ocn光withフレッツ)でネットにつなぐことができました。ネットにつなぐのに2時間以上悪戦苦闘しました。こんな時間マジありえません。しかしわたしの心はいま澄みきっています(笑)。Knoppixに比べてFedoraの日本語入力システムは実に軽快です。何が原因なのでしょうか?GNOMEの、テーマのインストールの快適さも特筆すべきことです。

さて、それは置いておいて、僕のような被害者が出ないために、どのようにネットに接続することができたか、書き残しておきます。何よりNTTのサイトにある情報が古すぎて、しかもLinuxへのサポートはしていないので苦労しました。

普通ならば自動的に認識されて簡単にネットに接続できるはずなのですが!

インストール:
書店でCDの付いてる本でも買ってきてインストールしてください。ここは問題はありませんでした。

起動:
まずインストール後初めての起動時に、eth0がFailedになったことが始まりでした。Knoppixで接続できなかったので、僕はてっきりオンボードLANが壊れているのだと思ってしまいました。しかし、これは壊れているから起動時にFailedになるのではありません。オンボードLAN=eth0がイーサネットとして読み込まれているのでFailedになるのです。

また、ネットに接続できない場合、DHCPがうまくいかないという症状に悩まされていると思いますが、コイツは悪くありません。放っておいて次へ進みましょう。

GNOMEで起動した場合、上のバーからシステム->管理->ネットワークと進みます。
すると、デバイスタブにオンボードLANがありますが、タイプがEthernetになっています。
ADSLや光で接続する場合はPPPoEの設定をして、xDSLタイプのデバイスを作らなければいけません!新規を押して、xDSL接続のデバイスを作成してください。
あとは、プロバイダから来た手紙に書いてあるログイン名とパスワードを入れれば出来上がりです。選択後、右上の起動ボタンを押せば、無事ネットに接続できます。

このとき、システム->管理->システム・モニタを起動しておくと、つながったかどうかがわかりやすいので推奨します。

幸運を祈ります。正しい道がわかってしまえば単純この上ないのですがね;;
 
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Fedora Coreはじめました!
そもそも僕はなぜLinuxを選んだんでしょう?

わかりません・・・

強いて言えば、C言語で作ったプログラムが速く動きそうだからでしょうか。

あと、なんとなくカッコよさそうだから?

真のLinux好きが聞いたら驚き呆れ 怒り狂いそうな理由ですね。

まず、マルチユーザーであることは必要なし、と。

サーバーも作らない、と。

それじゃあ、なぜ苦労してLinuxなんかを導入しようとしているのか・・・

やってるうちに、わかるような気がします(おい!

このコーナーでは僕がFedora Core 6を導入するに当たって、気が付いたことをのせていこうと思います。

なぜ、そんなものが必要なのか?

それは、肥大化した今のmanがわかりにくすぎるからです。

lsのフラグとか、5個ぐらいしか実際に使いそうなものはあまり無いでしょう。

といっても、僕の拙い経験でしかいえないのですが、今のところls -aFCtrぐらいしか使い道が思いつきません。

それだったら、その5つだけしかフラグを解説していない、超初心者用の解説サイトが欲しいのです。

最初に、シェルでのTabキーの使い方をバンと書いて欲しいのです。

ということで、Linuxの導入のためのミニマムとは何なのかを考えていきたいと思います。



初回~シェルで使える便利なキー~

僕は3つしか知りません(笑)

1.Tabキー
これを押すと、途中まで書いた単語が補完されます。押せば全てわかる、超便利。これがなかったら間違いなくLinuxは使っていないでしょう!!!

2.Ctrl+Dキー
間違ってプログラムを起動した時などに、プログラムにこれ以上の入力が無いことを伝え終了させます。これを知らなかったことでどんなに苦労したか(涙)

3.Ctrl+Cキー
上の手が通じないときの非常手段で、プログラムを強制終了させます。初心者にはありがたいコマンドです。主に対象となるのは自分の組んだプログラムです。

ほかにも便利なシェルのキーがありましたらコメント欄で無教養な僕を啓蒙してください。巡り巡って誰かの役に立たないとも限りませんよ!!!
 
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3月か。
※この日記は、今週の日曜日と月曜日、すなわち2月25日と26日のことについてかいている。

高校の同級生二人が、別々に二日連続でうちに泊まりに来た。今のうちに連れてきた友達自体今まで2人しかいなかったので、これは非常に驚きである。特にくろっち(二人目)は、3年ぶりに会ったのだ。お互いの変わりぶりに驚いたものだ。
そして、くろっちに会う前は、彼女と藝大の卒業展示に行ってきさえしたのだ。まさに激動の二日間だ。そこにあった一つの絵に僕があまりにも感動したので、彼女はいじけていた。すまない。今思い出してみると、自分でもなぜあんなに感動したのかよくわからないんだ。(現物が目の前にやってくればまたどうかはわからないが。)

2月26日は、この絵の作者や彼女の(この順番に才能があるとは決して思わない。藝大の卒展は毎年命を削ったような作品が多く、彼女の去年の作品もやばかった。まぁ正直言うと去年は彼女の作品にではなく別の女のこの作品の前にずっと立っていたのだが、それはその絵の持つ禍々しいまでの醜さに呆然となったからだ。もし僕が将来振られても、あの絵や出合ったときに見たあの作品なら一億ぐらい積んでも買い取ろうとするに違いないだろう。怒って売ってくれないかも知れないが。)、「絵を書き人を感動させる」という素晴らしい才能と、「物理」という自分のアイデンティティの無力さの落差に無力感を感じ、悩んだ日だった。あの有名な天才物理学者ハミルトンも詩を愛したが、詩の才能は全く無かったのだ。だから、「曲作り」を再開させるために、大学1年のころから欲しかったヘッドフォンを買った。かなり高かったが、彼女に怒られるぐらい念入りに選んだので間違いない(しかも同様のことを、僕はいろんな店で2年以上も続けている(笑))

泊めた二人から、全く異なる話をいろいろ聞いた。そして気づいたことがある。僕はこの一年物理ばかりやりすぎて、なんと人生の幅が狭くなっていたことか。人生は一度しかない。それを、物理や数学ばかりやっていて食いつぶしてよいものか。僕はそうは思わない。なぜなら、現実に存在するのはニーチェの言葉を借りれば大地であり、人であるからだ。僕が人生で一番楽しいと思っているのはコミュニケーション、ハイデガーにいわせれば「おしゃべり」であり、実際物理、「世界の真理を垣間見る作業」というのは趣味という位置づけのほうが適切に思われる。

天才たる学者は物理や数学さえ考えていれば良いのであって、世の中のことは奥さんや周囲の凡才に任せておけばいいというのは、実際数学の世界に見られる良く無い考え方である(ソースは、小平先生のフィールズ賞を取ったときの誰かの演説だったと思う。それを聴いて奥さんが泣いたらしい)。僕は、これは学者の心の歪みだと思う。人間は、生物であることを離れて生きることは出来ない。生きるためには食や愛の行為が欠かせない。ならば、それが本来の生ではないか。

どんな仕事でも慣れれば楽しいという。僕にとって物理が楽しいのはこのこと以上の意味はあるだろうが、それは誤差範囲でしか無いだろう。ならば、物理の楽しさは、自分が人間という生物である、この生物の部分に根ざしているのだ。ということは、真に正しい人生の追求は、生物としての自分の欲求を追い求めることであるはずだと僕は思う。それはお金などではない。それは、人間の欲求であるのだから。
 
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